8割方フィクション

6割の時もある

回顧を少々

今回は、自分がこのブログを始めたきっかけとも言える、この人生における目的をくれた出来事と人について振り返ろうと思う。
ずいぶんと長くなってしまったし、そんなに読みやすい文章でもないことをご理解いただきたい。




小学校5年生の頃の話である。

ある日、国語の授業で課題が出された。
「テーマは何でもいい。自分でオリジナルの小説を書いて来なさい」という課題である。
これを聞いた私はかなり喜んだと記憶している。当時私はまさに「本の虫」であり、図書館の本を片っ端から濫読するのが趣味であった。だが、「自分で小説を書く」のは初めての経験だった。
「可能なら、このような素晴らしい作品を自分でも書きたい」と何度か思ったことはあった。
その思いを実行に移す機会が今、与えられたのだ。

それから課題提出日までの3日間、私は悩みながらも、「推理小説」をノート10ページほど書いた。(ストーリーの途中までである。3日間では全部書ききれなかった)
小説といっても経験も才能もない小学5年生の作品である。プロットはまとまっていないし、ストーリーも雑、おまけに主人公は「中学生探偵」というどこかで見たことのあるような設定。
当然ながら、世に出回るような小説と比べたら鼻で笑われるような代物であった。
それでも当時の自分にとっては全力の作品であった。ノートには、何回も書いたり消したりした跡が残った。

当日。
担任のN先生は教壇に座って生徒の名前を一人ずつ読み上げ、呼ばれた生徒は順番に「作品」を見せにいった。

…少しして私の番が来た。
私は内心高揚しながらも平静を装ってノートを渡した。
何と言われるか楽しみだった。だが不安でもあった。とんでもなく稚拙な作品を「稚拙だ」とそのままに言われるのが怖かった。
N先生は最後のページを見て、ゆっくりと顔を上げた。
そして言った。「これ、とっても面白いよ」「大人顔負けじゃないか」
N先生は本当に素晴らしい、というように、何度も頷いた。私は嬉しかった。成績のこと以外で人に褒められるのは初めての経験だった。
自分が書いた作品が賞賛されるのはこんなにも嬉しいことなのだと実感した。

帰宅して布団に入ってからも興奮は冷めやらなかった。

作家になりたい。心からそう思った。

大人から言われるがままに行動していた受動的な子供が、初めて〝自分自身の〟夢を抱いた瞬間だった。
今でも私はその夢を抱き続けている。
あの時のN先生の賞賛がなければ、自分の中に主体的な目標は生まれなかったかもしれない。


N先生にお礼が言いたい。言いたかった。
でも言えなかった。


私が小学校を卒業する前にN先生は学校を去られてしまった。

どこへ行かれたかはわからない。他の学校かもしれないし、あるいは教師という職業自体をやめられたのかもしれない。
後者の方が可能性としては高い気がしている。その理由となるような出来事があったからだ。


先ほどの話でも述べているが、N先生は私が小学5年生の頃の担任である。
N先生はクラスの生徒から嫌われていた。先生は音楽の授業に対してあまりに情熱的な人であった。
合唱練習の際何回もやり直しが入ることに皆閉口していた。(私もその一人であった)
私の親友は呼び捨てにして汚い言葉で罵るほどにN先生を嫌っていた。

6年生に進級して担任の先生が変わった。
N先生は引き続き5年生のクラスに配属された。
直接会うことはなくなり、先生の話は噂で入ってくる程度になった。

日が経つにつれ、噂の内容はだんだんと不穏なものになっていった。
N先生が担任しているクラスでいじめが起こっているとか、N先生が生徒の保護者と喧嘩をしただとか、そんな話が毎日のように聞こえてきた。
先生に会いに行こうかとも思った、しかし迷惑になると考えてやめた。
今にして思えば会いに行くべきだったかもしれない。

9月、ついに事件が起こった。
N先生が階段から落ちて大怪我をしたのだ。
落ちたのではなく突き落とされたんだ、突き落としたのはいじめの主犯格の生徒だ、と嘘か真かもわからない話が飛び交っていた。
真相は今でもわからない。
ただひとつ言えるのは、N先生はそれきり学校に来なくなったということだけだ。


先生にはそれきり会えていない。
現在の住所もわからないし、ご存命かどうかもわからない。



…N先生が大怪我をしたと聞いた時、あの親友は〝ほんとうに〟嬉しそうな顔をして先生への悪口を重ねていた。
私はその顔を見て咎めることもできなかった。それどころか親友に嫌われるのを恐れて同調すらしてしまった。
そのことが今更ながら悲しくて悔しくてならない。

先生は私に夢を持つきっかけを下さった。なのに私は恩を仇で返すも同然の行為をしてしまったのだ。
今でもあの時、なぜ親友に対し怒りを表さなかったのか、なぜ「お前にとっては憎むべき対象であっても、自分にとっては目標をくれた人なんだ」とはっきり言ってやらなかったのか、後悔を抱き続けている。



…自分の夢を叶えることがあの時の罪滅ぼしになるとは到底思えない。
だが有名になれば、消息を絶ってしまったN先生とまた会う機会ができるかもしれない。
その時はお礼と謝罪がしたい。人からしてみれば所詮自己満足としか思われないかもしれないし、先生がそれを受け取ってくれるかはわからないけれど。





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