8割方フィクション

6割の時もある

何もできてない

まず予告していたにも関わらずブログを更新できていなかったのをお詫び申し上げます。
更新していない間ずっとレポートなどの課題やテスト勉強予習復習に追われておりました。
嘘です。最初の何週間かは暇でした。何も生産せずにゲームとかしてました。ブログのことは忘れていました。

夏休みに入って8日が経ちました。
レポートもテストも終わったので夜更かし遅起きの堕落した生活を送っています。
このままではまずいと思いながらこれを書いています。
「最初から完璧なものを作ろうとするよりはとりあえず何かを作れ」そういったアドバイスTwitterで何度か見かけたのでとりあえずこれを書いています。
この短い記事を書くことが「何か」を作ったうちに入るかは甚だ疑問ですが。
手を動かさないよりは何かを書き上げた方がいいと分かってはいるのに、何でこんなに書けないのでしょうか……


……

書くことなくなったのでとりあえず最近思ったことを書いておきます。


・ファミマの菓子パンめ〜〜〜〜〜〜っちゃ美味い
特に「ひと口もち食感チーズ」の美味しさは異常 多分一口サイズだからあの美味しさが実現できてるんだと思う、絶妙な食感
あとトルティーヤも美味い、夜食に向いてるサイズ感 あの「微妙にあと一口足りない感覚」が好きです

・ロシア語の先生が素敵なおじさまなのでとても楽しい
あの先生に会うために大学に行っています、優秀な人々の優秀さを見せられても折れずに大学に通い続けられるのは先生がいるからです
ロシア語取ってよかった〜と思います😌 あとその事実を抜きにしてもロシア語は楽しい
いずれ新入生に向けてロシア語選択を薦める記事を書きます

・必修講義には苦手な雰囲気や内容の講義しかなくて泣けてきます。
こんなにもコミュニケーション能力が求められる授業があるとはついぞ知りませんでした。(※まず自分で入学前に調べてないのが悪い)
高校の時とは違って他の学部学科の人と同じ講義を受けるので余計人見知りを発動させてしまいます。何とか円滑な会話をできるように頑張ってはいます。




全部書こうとすると長くなりすぎるので、続きは他の記事に書きます。

夏休みゆえ暇があるので、多分前よりは更新頻度が高くなると思います。
次の更新でも読んでいただけると嬉しいです。

回顧を少々

今回は、自分がこのブログを始めたきっかけとも言える、この人生における目的をくれた出来事と人について振り返ろうと思う。
ずいぶんと長くなってしまったし、そんなに読みやすい文章でもないことをご理解いただきたい。




小学校5年生の頃の話である。

ある日、国語の授業で課題が出された。
「テーマは何でもいい。自分でオリジナルの小説を書いて来なさい」という課題である。
これを聞いた私はかなり喜んだと記憶している。当時私はまさに「本の虫」であり、図書館の本を片っ端から濫読するのが趣味であった。だが、「自分で小説を書く」のは初めての経験だった。
「可能なら、このような素晴らしい作品を自分でも書きたい」と何度か思ったことはあった。
その思いを実行に移す機会が今、与えられたのだ。

それから課題提出日までの3日間、私は悩みながらも、「推理小説」をノート10ページほど書いた。(ストーリーの途中までである。3日間では全部書ききれなかった)
小説といっても経験も才能もない小学5年生の作品である。プロットはまとまっていないし、ストーリーも雑、おまけに主人公は「中学生探偵」というどこかで見たことのあるような設定。
当然ながら、世に出回るような小説と比べたら鼻で笑われるような代物であった。
それでも当時の自分にとっては全力の作品であった。ノートには、何回も書いたり消したりした跡が残った。

当日。
担任のN先生は教壇に座って生徒の名前を一人ずつ読み上げ、呼ばれた生徒は順番に「作品」を見せにいった。

…少しして私の番が来た。
私は内心高揚しながらも平静を装ってノートを渡した。
何と言われるか楽しみだった。だが不安でもあった。とんでもなく稚拙な作品を「稚拙だ」とそのままに言われるのが怖かった。
N先生は最後のページを見て、ゆっくりと顔を上げた。
そして言った。「これ、とっても面白いよ」「大人顔負けじゃないか」
N先生は本当に素晴らしい、というように、何度も頷いた。私は嬉しかった。成績のこと以外で人に褒められるのは初めての経験だった。
自分が書いた作品が賞賛されるのはこんなにも嬉しいことなのだと実感した。

帰宅して布団に入ってからも興奮は冷めやらなかった。

作家になりたい。心からそう思った。

大人から言われるがままに行動していた受動的な子供が、初めて〝自分自身の〟夢を抱いた瞬間だった。
今でも私はその夢を抱き続けている。
あの時のN先生の賞賛がなければ、自分の中に主体的な目標は生まれなかったかもしれない。


N先生にお礼が言いたい。言いたかった。
でも言えなかった。


私が小学校を卒業する前にN先生は学校を去られてしまった。

どこへ行かれたかはわからない。他の学校かもしれないし、あるいは教師という職業自体をやめられたのかもしれない。
後者の方が可能性としては高い気がしている。その理由となるような出来事があったからだ。


先ほどの話でも述べているが、N先生は私が小学5年生の頃の担任である。
N先生はクラスの生徒から嫌われていた。先生は音楽の授業に対してあまりに情熱的な人であった。
合唱練習の際何回もやり直しが入ることに皆閉口していた。(私もその一人であった)
私の親友は呼び捨てにして汚い言葉で罵るほどにN先生を嫌っていた。

6年生に進級して担任の先生が変わった。
N先生は引き続き5年生のクラスに配属された。
直接会うことはなくなり、先生の話は噂で入ってくる程度になった。

日が経つにつれ、噂の内容はだんだんと不穏なものになっていった。
N先生が担任しているクラスでいじめが起こっているとか、N先生が生徒の保護者と喧嘩をしただとか、そんな話が毎日のように聞こえてきた。
先生に会いに行こうかとも思った、しかし迷惑になると考えてやめた。
今にして思えば会いに行くべきだったかもしれない。

9月、ついに事件が起こった。
N先生が階段から落ちて大怪我をしたのだ。
落ちたのではなく突き落とされたんだ、突き落としたのはいじめの主犯格の生徒だ、と嘘か真かもわからない話が飛び交っていた。
真相は今でもわからない。
ただひとつ言えるのは、N先生はそれきり学校に来なくなったということだけだ。


先生にはそれきり会えていない。
現在の住所もわからないし、ご存命かどうかもわからない。



…N先生が大怪我をしたと聞いた時、あの親友は〝ほんとうに〟嬉しそうな顔をして先生への悪口を重ねていた。
私はその顔を見て咎めることもできなかった。それどころか親友に嫌われるのを恐れて同調すらしてしまった。
そのことが今更ながら悲しくて悔しくてならない。

先生は私に夢を持つきっかけを下さった。なのに私は恩を仇で返すも同然の行為をしてしまったのだ。
今でもあの時、なぜ親友に対し怒りを表さなかったのか、なぜ「お前にとっては憎むべき対象であっても、自分にとっては目標をくれた人なんだ」とはっきり言ってやらなかったのか、後悔を抱き続けている。



…自分の夢を叶えることがあの時の罪滅ぼしになるとは到底思えない。
だが有名になれば、消息を絶ってしまったN先生とまた会う機会ができるかもしれない。
その時はお礼と謝罪がしたい。人からしてみれば所詮自己満足としか思われないかもしれないし、先生がそれを受け取ってくれるかはわからないけれど。





ここまで読んでくださりありがとうございました。
よろしければ記事を拡散して頂けると助かります。
また、誤字・脱字などございましたらコメントにてお寄せください。「ここが読みづらい」という指摘もコメントでしていただけると助かります。

濫觴・終息

わたくしバター猫は生来の天邪鬼である。
大学受験期「スマホを使いすぎないようにしよう」と決意し、ロック画面を受験仕様(下画像参照)にするも、かえってスマホを触る頻度が上がってしまう、そのくらいの天邪鬼である。
世間では「根性無し」とも呼ぶらしい、知らんけど

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こういうのって逆効果だと思うんだけど、実際どうなんだろう。

それほどの天邪鬼な自分でも今日ばかりは「おめでとう」と言いたい。
元号が変わった」という事件があまりにも大きすぎて、愉快に思わずにはいられないのだ。

逆張りオタクで売っている私ではあるが(そうか?)、今日という日を祝うことを許していただきたい。
そして、去ってしまった平成にも、敬礼でもって感謝を示させていただきたい。

ありがとう平成。
こんにちは令和。

ごあいさつ

早速だがご挨拶の前に、まずはどうでもいい話をさせて欲しい。



...十数年間の人生を振り返ってみて、分かったことがある。

自分は、BOOK・OFFを「ブコフ」と略した経験が、ただの1度もない。

というか、「ブコフ」と略する人に会ったこともない。


実際存在するのか?

「俺今日ちょっとブコフ行ってくるわ」
とか、

ブコフでバイトしたいな〜」
とか、

日常会話で使う人はいるのか?



むしろ普通に呼ぶより言いづらくないか?



...比較してみよう。
まずは普通に「BOOK・OFF」と呼ぶ場合。
この時は真ん中に区切りが入る。
一旦「く」で口をすぼめてから「お」と丸める。非常に呼びやすい。
自分には音声学とか言語学の専門知識はない。が、それでも発音のしやすさは感覚的に分かる。

ブックオフなのに本ねえじゃん!!」
ほら、言いやすい。テンポもいいし。




...だが「ブコフ」はどうか。
「ブ」まではまだいい。問題は「コフ」の部分だ。
「コ」で一旦口中の息を吐き出す。にも関わらずその後に、吐息のごとき「フ」である。
下手すれば、不意に首を絞められた時みたいな発音になりかねない。
コフ…」みたいな。文字だと伝わらないけど。



そもそもなぜ略して「ブコフ」なのか。


恐らくは「ブックオフ」の真ん中(?)の部分、
「クオ」(発音的には「クォ」に近いか)を短くして「コ」としたのだろうが、気に食わない。
マジで気に食わない。

当たり前だが、「クォ」と「コ」は同一の存在ではない。


「クォーツ時計」を「コーツ時計」とは言わないし、「刻子」を「クォーツ」とは読まない。


発音からして全く違う。
微妙だけれど全く違う。

違いはあくまで違いである。たとえそれが微々たるものであっても、無視するなどもっての外だ。
異なる二つのものをイコールで扱うという行為は、双方への侮辱にもなりうるのだから。



だから「ブコフ」なんて呼んじゃいけない。
呼ぶなら「ブクォフ」と呼ぶべきだ。


早速声に出して読んでみよう。


ブクォフ



言いづらいって思ったら普通にブックオフって呼びましょう。

というか別に略さなくて良いだろこれ。
略しても略さなくても文字数そんなに変わんねーよ。

何だったんだよ今までの1066文字は。







こういうクソものすごくどうでもいい事とか、あんまり役に立たない(ちょっとは立つかも知れない)事を書いていくブログです。
どうぞよろしくお願い致します。


「ここが読みづらい」「表現がおかしい」など、ご意見・ご批評ございましたらコメントお願いします。
次の記事では文章が上手くなってるかもしれません。

それでは、令和元年初日にまたお会いしましょう。